ひさびさのブログです。
物流Techな会社に就職したので、せっかくだから物流の歴史とかノウハウとか身につけたいなーと思い、いくつか購入してて積読してたやつ。
ちょうど今出張で東京にいるので、移動の飛行機で読んだ。ひとことでいうと良かった。
雑メモがこちらです
雑メモ
- 宅急便はクロネコヤマトの商品名
- 日頃僕らが使っているサービスの大枠は「宅配」である
- 宅配はヤマトがはじめて広めたもの
- 1970年代。多くの物流が大口配送(多くの荷物を1つの納品場所へ配送するという認識です)だった。ヤマトは関東圏でがんばっていたけど、関西や他企業に押されていて、業績やべぇ会社やべぇってなってた
- 著者であり、後にヤマトの社長になる「都築幹彦」さんも当時の社長と一緒に同じくうちの会社やべぇやべぇってなってたらしい
- というわけで、改革が必要なんだけど大口配送ではもうシェアとられて厳しいってなってた
- 当時は車の性能がそんなよくなかったので、ヤマトは鉄道で荷物を送るサービス?をやっていたが、当時鉄道を使った配送はとてもじゃないが便利ではなかったらしい。また、車の性能が悪くてトラック配送は無理だと読んでいたが、他企業が見事スピーディーな運送を出してきたのであわわわわわってなった
- もう得意なことじゃなくて全く別のなにかで改革しないと無理じゃね?ってなったときに、当時の社長さんは小口配送で一発あてきれないかなって思ってたらしい
- ただ、大口配送と比べ、小口配送は大変で小さなな荷物をいろんな納品先(家)へ運ばないといけないので、今でもそうだけど大変(2回め)なので、絶対社員から反対されると思ってた。そして反対された
- ただ、都築さんはそれでもやるべきだと思ってた。会社の改革のためでもあるが、当時全国へ配送できるネットワークを持っているのは郵政(国営)だけだったが、荷物がある一定のkg数になると、鉄道で運ぶ必要があり↑でも書いたけど、駅近くだったら運んでくれるけどそこから遠い人は自分で取りに来いってスタイルのサービスだった。また、苦言をいったところで、「運んでやっている」という姿勢だったので、これはなんとかしないとなという気持ちだったらしい
- というわけで刺しにいくぞ!というがんばりの話
感想
- 物流は足が遅いとは言われているが、1970年ぐらいの話なんだけど、50年前の話である。50年前荷物が家に届かない世界だったのもびっくりだけど、宅急便がサービス名だったことにもびっくり
- もうちょい書いてほしかったなーって思ったのが、色々苦悩や大変だったことが書いてあるけど、次3行目ぐらいには解決した。みたいなことで締めくくられるので、もうちょいその苦悩をどうやって解決したのかを書いてくれるとうれしいなーって思いました
- ただ、ところどころでは戦略があたった・外れたが書いてたりするので、単純に書けないことが多いのかなー?とも思った
- 昨今、物流の荷物の金額もあがってきていますが、10 ~ 30円あげるだけでめちゃオコな世界でございますが、やっぱり値上げな話も書いてあった
- 現場が苦しんでいる・キレて荷物を投げ捨てたり〜みたいなニュースが多いですが、一応上さんもちゃんと考えて値上げしているんだなと思った
- また、赤字案件をおしてくる荷主さんに我慢ならねぇといって、御社から撤退しますスタイルもとてもいいなって思いました
- やっぱり物流はコストじゃないぞ!!!(昨今コストカットな対象とされがちですが)
- やっぱり新しいことをやるにはお金がかかるし、クレームも大変とかそういう話もあったんだなって思った
- ただ、勉強代・’授業料だ。みたいな姿勢で乗り切る。影響のあった顧客に全額負担する姿勢はとてもすごい
とても勉強になりました